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昨日の自分より素敵な自分に

子供の心が離れていく母親は、○○ばかり使っている

頭で考えるか、心で感じるか。

私たちは、頭でばかり考えるクセがあります。学校教育からの延長だからかもしれません。

常に頭を観点させて、「それは正しい、それは間違いだ」と常にジャッジし、考えています。そのため、肝心な「心」が置いてきぼりになっている・・なんてことも、ありますよね。

これは、人間関係でよく出ています。とくに子育てでもあり得ます。

子供が愚痴を言って来たら

例えば、子供が、「学校がつまらない。宿題はやだし、先生は嫌な奴ばっかりだ」と肩を落としているとします。

そんなとき、「常識教」という宗教を信じている親は、「そんなこと言ったって、何も変わらないでしょ!社会に出たらイヤな人なんていくらでもいるんだから、我慢しなさい!」

という一言で片づけてしまう。頭を使っているだけです。

子供からしたら「常識」「正論」なんだから、言い返せない。

子供は「感情」の話をしているのであって、正論を聞きたいわけではないのです。

心を使っている親だったら、

「そうだよね、イヤな時もあるよね」「けど・・・イヤな人はどこにでもいるし・・」と言うように、諭します。

と、いったん心を寄り添うことができます。そうすると、子供は、諭された内容もそうですが、「わかってもらえた」という安心感が生まれると思うんです。

そういう母親(父親)に限って、「自分は、誰にもわかってもらえない」といつも起こっていたり、愚痴を言っていたりします。

自分が他人に寄り添っていないから、鏡の法則で自分に返ってきているとは、なかなか気づかないものです。

常識をぶつけられ続けると、どうなるんだろう

けど、こういう「きびしい?」親に育てられた方が、子供は強く育つ。と思うこともあります。

要は、母が強く当たったら、父が優しく接する。または、その逆、のように、バランスかもしれません。優しすぎてもだめかもしれません。

けれど、です。私が思うに、心を寄り添われずに育つと、子供って、自分の心に寄り添えなくなるんじゃないかな?と思うんです。

辛くても、がんばらなくちゃ!と無理してしまう。休みたい、無理!という自分の心の声を無視して、「社会人なんだから、無理するに決まっているだろ!」と、かつての母(または父)のように、常識を自分の心にぶつけてしまう。

その結果、うつ病が蔓延して、過労死、自殺が多い社会になっているのではないかな、と思ったりします。

優しい社会

そろそろ、もっと優しい社会になってもいいんじゃないかな、と思います。

休みたい時は休めばいいし、無理だったら、無理だと言っていい。辛いときは、ツライといって、周りの人は、「つらいよね~わかるよ~」という気持ちになればいい。

これって、家庭から始めるのが一番かもしれませんね。

なので、子供や配偶者の人が、何か愚痴を言っていたり、相談してきたりしたときは、「そうか~わかるわかる」といって寄り添ってあげるのが一番です。

それを無しに、「そうするべきだ~~」とはじまると、ケンカの原因にもなりますし、言われたほうは、「わかってもらえない」となってしまう。

一般的に男の人にありがちなので、注意です。

そもそも、あなたの「こうあるべき」という意見は、誰も求めていないかもしれません。

これ、私が妻によくやっていました。「それは、こうすればいいんだ」とか、「○○だから△△なんだ」

のように、知識や考え、主張をぶつけてしまう。

これは、無意識に、「俺はこんなに知っているんだ、すごいだろ~!」という自己顕示欲の一つだと気付いたのは、最近の事です。

「わかるよ~」といったん言ってみて、ニコニコ話を聞いていたほうが、よっぽど平和かもな~なんて思う今日この頃です。

みなさんは、どう思われますか?

やっぱり、自分の意見を通したいですか?

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