最近、夫婦関係が悪い・・
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家に帰って安らぎのはずが、話したくない・・
旦那の顔も見たくない
妻と話したくない
そういう方は多いと思います。
なんでそんな事が起こるのか・・
やっぱり、「価値観」ですよね。
私も、最近、妻とは話が合わず、仕事が終わっても、ほとんど顔を合わせない・・という状態でした。
妻とは、何を話しても合わない。
そのうち、そういう思いが自分の中で芽生え、
だんだん話をすることも無くなってきたんです。
なんでだろう・・
と考えた時、、、
やっぱり、
「自分が正しい」
という思い込みが原因だと思いました。
今回は、私のように、価値観が合わない夫婦がケンカをへらすために、どういう考え方であれば良いのか。
シェアさせていただきます。
価値観が別れやすい時代
世の中、2極論がどんどん進んでいると思います。
今はネットでいろいろな意見に簡単にアクセスできます。
ユーチューブを見れば学者や専門家が発信しているので、簡単に彼らの主張にアクセスできます。
難しい本を読む必要もないのです。
誰もが、専門家の意見だけをきいて、「答え」にかんたんに行き着けます。
〇〇が言っているから、という理由だけで、自分の意見を固めることができる。便利な時代です。
そのため、自分の意見を持ちやすいですよね。
夫婦間でも、インフルエンサーの人が言っていることが、自分の意見になり、意見同士がぶつかる・・ということありますよね。
例えば、「体罰」について。
体罰は必要か?価値観が別れますよね。
体罰の是非という話題の討論番組を見ていたら、賛成派と反対派がパックリ別れていて、お互いの意見をぶつかり合っていました。
メディアに出演した場合、自分の意見を言わなければいけないでしょうから、それは仕方がないでしょう。
けれど、
普段の生活でそれをやってしまうと、TVなら面白く見てられますが、結婚生活だと、戦争です笑。
私はそれをやってしまってから、夫婦関係が最悪。
価値観が合わない夫婦が普段の生活で必要なのは?
では、どうすればいいのか、、私が効果があった3つの考え方は以下の通りです。
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お互いが高まるように努力する(ともに成長する視点)
自分の正しさを主張しない
相手を変えようとしない
これだろうなぁって思いました。
価値観が合わせない夫婦は、戦わず、ともに成長しよう
例えば、体罰の話をしていたとして、「絶対ダメ」と「絶対必要」で別れてしまうと、平行線のままです。
もし、あなたが「体罰はダメ」の意見だとします。旦那や奥様が、「体罰は必要」と言っていたら、どうでしょう。
お互い自分の意見ばかり主張し、TVの討論番組みたいになってしまいますよね。
そのうち、「体罰がオッケーって、この人、頭おかしいんじゃない?サイコパスじゃないの?」
というように、人格否定にまで行き着いてしまいます。
そして、この人は、自分をわかってくれない・・という考えに至るでしょう。
それをやめて、お互いの意見をともに成長させればどうすればいいのかなぁと考えると、どうでしょう。
「確かに、場合によっては体罰が必要なケースも存在するかもしれない。」
「必要な体罰って、何だろう」
ちょっと視点を変えると、愛がある体罰なら、プラスになることもあるのかなぁ。と、1cmでも近づけますよね。
体罰反対派も、体罰がダメだったら、どう教育するのか?と意外に見えなかったりします。
「愛がある体罰なら、たしかに必要なときもあるのかもね。」という言葉を聞けば、
「確かに、甘やかしとの違いは、愛があるかどうかだよな。。」という気づきになるかもしれません。
そういう視点で考えられれば
「体罰は反対・賛成」の2元論から、「教育の基本にあるのは、愛だよね」という新たな視点が生まれます。
そうしたら、「愛がある教育とは、どういう子育てかな?」という視点でお互いが一段上がれます。
そして、自分の正しさを主張するのはやめたほうがいいです。
なぜなら、相手も、あなたと同じくらい、自分が正しいと思っているから。
あぁ。わかるよ。と言ってから、自分の意見を言う方が良いです。
自分は正しい!と主張すると、「私こそ正しい!」という反応がくるのが、人間です。
負けたくない、プライドがあるのはわかります。
けど、本当の勝者は、戦いません。あぁ。正しさを証明したいんだな。それで相手が気分が良くなるなら、それでいいよな。
という心の余裕・・私が毎日修行している点です。まだまだできません。
これを読んでくれているから、一緒に修行しましょう。戦わず、無視もせず、相手を褒めて、受け流す。
黒帯の技ですね。笑
相手を変えようとしない
相手を変えようとするのも、夫婦関係の悪化をもたらします。
相手を変えようとするのは、キリスト教徒を仏教徒にするようなものです。
よっぽどのことがないと無理でしょう。
相手を変えるのは諦めましょう。
自分の意見を証明して、相手の考えを変えたい。その気持はわかります。相手に主導権を握られたくないし、自分が馬鹿だと思われるのも嫌ですよね。
けど、その戦いに勝つ意味はあるのでしょうか。
戦うのをやめて、お互いの意見をもっと高いところに持っていく努力をしたほうが良いと思います。
私は、この考えに変えてから、相手と戦うのをやめました。やっぱり、自分のほうが勉強しているし、色々知っているはず、という嫌なおごりもありました。「負けてたまるか」の気持ちがあったのでしょう。
けど、そういう戦いの振動数が、夫婦関係を破壊するというのもわかりました。
最後に、サン・テグジュペリの名言を紹介します。
愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。
Love does not consist in gazing at each other, but in looking together in the same direction.