最近、「まず自分を満たしましょう」的な言葉が目立ちますよね。
他人より、自分を優先させよう、自分の好きなことだけをしよう、やりたくないことは止めよう・・・
「滅私奉公」という言葉も死語になりつつありますよね。
「自分ファースト」に生きるのは全然悪いことではないと思います。私も、最近「自分を満たそう」系の本を読んでいて、やっぱり自分を一番大切にしていかなきゃダメだよね、と思ったりしたわけです。
そうすると、だんだん思ってくることがあるんですよね。
「自分を大切にしているけど、、、だんだんワガママになってない!?」
な~んか、他人に狭い心でしか接することができなくなってしまったり・・・なんか、おかしい!
夫や妻に小さなことを頼まれた。「やりたくないから、やらな~い」「自分の「やりたくない」を優先しま~す」
なんか、無責任で、心が狭い人間になっている気がする。これでいいの!?
自分ファーストは悪くない
だからと言って、「自分を殺して他人に尽くそう」というのも違う気がしますよね。
日本人は「自己犠牲」が美徳なので、自分を殺して他人に尽くそう、と思う人もいると思います。けど、これをやっていると最悪、うつ病などの病気になってしまいます。
そういう意味で、順番としては「自分を優先する」のは正解だと思います。それに、「自分を大切にできない人は、他人も大切にはできない」これはよく言われることですよね。
自分を優先するのは良い・・でも、それだと、ワガママな「イヤな自分」になってしまうのは同じですよ~って思いますよね。では、どうすれば自分も大切にしつつ、他人の声も聞けるのでしょうか?このジレンマ、どうすればいいのか・・・
自分ファーストとワガママの違いと、アセンション
結論から言うと、「次元の違いです」
え?またスピ系の話ですか?アセンションとか言い出すんですか?
スピ系ではなく、現実的な「次元」です。どういうことですか?というと、
「低い次元」では、「あ~こんなのやりたくね~、っていうか、こんなの押し付けんなよ、ふざけんな!やりたいことだけやるし」
「高い次元」では、やりたくない、という自分の気持ちをいったん感じ、寄り添う。「イヤだよね・・わかる」そのうえで、言えそうだったら、「こうやってみませんか?」という対応をしてみる。もし、頼まれたことをやるしかなかったら、「よくやってる自分はエライなぁ」と寄り添う。そこまでできた自分を認め、次は言ってみよう、と考える。
つまり、怒りや感情で「反応」するのをやめる。「反応しない」というのは仏教的ですよね。
イラっと反応するのはやめて、自分と対話する。
そして、自分の声に耳を傾ける。悲しみに寄り添う。悲しみに寄り添うことが「慈悲」。慈悲は西洋的には「愛」日本(神道)的には「感謝」
やりたくないことなんて、やらないよ!という次元と、慈悲、愛、感謝の次元、全く違いますよね。
慈悲、愛、感謝の次元への昇華・・これがこれからくる「アセンション」ではないのかな~って私は思います。
スピリチュアル業界では、ワクワクすることだけやって、好きなことだけやって、次元上昇しましょう~とか言われていますが、そんな簡単に次元上昇ってできるのでしょうか?
目の前の生活を大切にできない人を、神様がもっと良い次元に押し上げてくれるとは私は思いません。
自分ファーストと「波動」
では、次元が高い生き方をするとどんな良いことがあるのでしょうか?
高い次元に上がると、神様はどんなご褒美をくれると思いますか?
それは、同じ「波動」が返ってくる、というご褒美です。宇宙は良くできていますよね。
何が言いたいんですか?と言うと、自分が出した「愛、感謝の波動」は、自分に返ってくる、ということです。つまり、自分が「やりたくない!」という投げやりの態度をとると、周りの人も「投げやり」「怒り」「イライラ」で接してきます。
逆に、愛、感謝の次元の波動を発すると、周りも「温かい態度」で接してくれます。
参考↓
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いつも責められるのはどうして?理由は簡単です。
なんでいつも私ばっかり責められるの!? 真面目にやるべきことをやっているのに、なぜ否定されるんだろう?? よくありますよね?? これにははっきりした理由があります。 結論から言うと、「宇宙の法則です」 ...
これは本当に不思議です。
私も、イライラしたり、怒ると、必ずと言っていいほど、イライラしている人に出くわします。家族の機嫌が悪かったりします。最近は歳をとって、現実化が速くなっている気もします。
「悟り」とは??精神世界、スピリチュアル、宗教の目的
最後に、精神世界、内面、スピリチュアルに興味を持った時の注意点です。
スピリチュアルが好きな人は、内面に入り込みたくなる人が多いと思います。私もその一人ですが・・
気を付けなければいけないのは、「他人を考えない、閉鎖的な生き方」に向かってしまう可能性があるということです。先ほどの、次元が低い自分ファーストですね。
「個」「競争」「分離」の世界では「内面」が強くなります。他人を排除し、他の人や出来事を「外面」と分けてしまうからです。
実は、スピリチュアルとは、外に目を向けることです。
自分とは‥から始まり、自我(自分)がなくなる・・そして、他人も自分も同じ。外と内の差がなくなる。すべて1つだという結論に向かいます。
他人も、動物も、同じ存在、自分と同じだと考えること、それが「差を取る」悟り(差取り)です。
色即是空は、すべてが「空」。
量子的に言うと、私たちの身体は、分子・・原子と小さく見ていくと、最後は素粒子に行きつきます。その先は・・・「空」
私たちは「空」
科学的に言うと、私たちはみんな素粒子の集まり。机も、犬も、イヤな上司も・・・みんな同じ。
今風に言うと、「ワンネス」ですね。これが宗教、スピリチュアルの目的かと思っています。
ジョンレノンも言うように、所有もないし、宗教もないのです。
けど、それじゃあ現実世界は生きれない。だから、次元をあえて下げる必要も出てきます。ビジネスマンの人が、「所有」はありません、なんて言ったら仕事ができないと思います。
だから、次元を上に行ったり、下に行ったり。それが「観自在」です。
悟りとはこういうことなのかもしれませんね。
せっかく精神の世界を学んでいるのですから、自分の世界にこもるのではなく、他人との関係の中で自分を深めていく道を探っていきませんか??