みんな、自分の事を正しいと思って生きています。行き過ぎると、「正論症候群」になってしまうので注意が必要になります。
自分が正しい!!と声高に叫ぶ人がいますが、やり過ぎると、まわりから煙たがられて孤独になることもあります。
けど、自分の考えがないと、流されている気がする。「バカ」だと思われる・・・学生時代に勉強で劣等感を持っていた人に多いような気もしますが、、ネットで情報を集めて、「自分は賢い」という自己愛行動をとることもあると思います。
あなたの考えを「求めている」人がいるのであれば、あなたの「正論」は受け入れられます。
けど、あなたの考えを求めていない人にとっては、「正論の押し付け」と思われてしまいます。その結果、あなたは孤独になったり、「自分の言うことは来てもらえない」というように思われてしまいます。
他人の子育てにイライラ
例えば、他人の子育てにイライラしてしまうことって、ありませんか?イライラしなくても、心配してしまったり・・・
家の子供の同級生にも、子供を遅くまで起こしておいてゲーム三昧。学校はすぐ休む・・という親がいます。
周りは、結構色々言いたくなりますよね。
けど、そういう親も、「自分は自分」という信念を持っています。
あなたは、「子供は学校に行かせるべき」という考えがある。
向こうは、「子供の好きなようにさせたい」という考えがある。
どっちが「正しか」って、わかりますかね?
正直、わからないと思うんです。世間の常識で言ったら、「早寝早起き」「学校にしっかり行く」が「正しい」のでしょう。けど、学校に行かなくてよかった、という人もいます。学校に行ったから才能を潰されたり、イジメにあうころもあります。
けど・・・時代はガラガラ音を立てて変わっています。数十年前は、人を殺して(戦争)で表彰される時代でした。
今は2500年周期の時代の変換期で、これまでの古い価値観はどんどん書き換えられると言われています。
そんな過渡期にいるからこそ、混乱しますよね。何が正しの?受験で勝つのが正しいの?好きなことをするのが正しいの??
「正しい」を超え、時代を超えても変わらない真理とは
結局、「正しい論」というのは、結論が出ませんし、時代によって変わります。
では、「正しい」を超えて、どの時代にも変わらないものって、何でしょう?
それは、「愛」とか「思いやり」だと思います。キリスト教や仏教がなくならないのは、変わらない真理があるからだと思うんです。
それが、「愛」「思いやり」だと思います。
いきなり、宗教の話ですか?気持ち悪いです。と思うかもしれません。
例えば、学校に行かせていない親がいるとします。
その親が、子供に対して、学校に行かないで自分の才能を伸ばしてほしい、という愛からの子育てであれば、子供はまっすぐ育つのかもしれません。けれど、大抵の場合がそうであるように、「無視」「ニグレクト」のような、「無関心」で子どもをほったらかしにしているのであれば、それは人として間違いだと思います。
もしあなたが、そんな親に対して、「考えはわかるけど、もっと広く視野を持って、学校に行くと言う選択肢もあることを知ってもらえれば、親も子も、もっと幸せになるかもしれない」という思いやり、愛の心から何かを言えば、伝わるかもしれません。
けど、「親はこうあるベキ」「夜更かし何て有り得ない」という自分の正論をぶつけたいだけなら、伝わらないでしょう。
結局、そこに愛があるか・・・
それだけのような気がします。