私にも、古くからの親友と呼べる友達がいます。
彼は家庭環境が複雑な幼少期を過ごしました。もともと、信仰心があるタイプで、信仰心にもとづいて、世のため、人のために生きることを大切にしているタイプでした。
けれど、詳しくは書けませんが、家庭の環境や、色々なことがあり、いつの日からか、現実主義的な人になってしまいました。仕事をするにも、利益優先、宗教的なことは、関わりたくもない様子です。
それはそれでいいですし、だからと言って関係がこじれるような友人関係ではありません。
しかし、二人でお酒を飲みながら話している時の、彼のふとした一言が、ずっと頭に残っていたのです。それは・・
「第二次世界大戦で、数えきれない日本人が残酷な死をとげ、最後には原子爆弾で、一瞬のうちにたくさんの人が死んだよね。それでも、神や仏がいると、言えるのかな?」
んー・・・色々な考え方があると思いますし、正直、私には、わからない・・
けど、急に腑に落ちる考え方に出会いました。
神の「子離れ」
私が聞いたのは、ライオンなど、野生の動物は、子供を育てる過程で、ある程度の狩りを教えたら、急に突き放すのだとか。
つまり、いつもは優しいお母さんライオンが、ある日、急に子供に牙をむき、追い払うのだそうです。子供たちからしたらビックリですよね・・・
けど、それをしないと、いつまでたっても、野生の中で独り立ちできない。母の愛とも言えます。
何が言いたいのですか?というと、あの戦争も、私たちに、神様から少し離れて「ひとり立ちしなさい」という意味もあったのかもしれません。
そのために、あれだけ過酷な現実を見せたのかもしれません。
もう、日本人は、私たち神の手から、少し離れなさい・・という意味もあるのかもしれないということです。だからと言って、神様が私たちの親であることは変わりません。
遠くから見守ってくださっているのは変わりがないと思います。
親離れした私たちのいく先
戦後、親から離れた日本人は、バブルや災害や、いろいろなことを経験しました。田舎から大学の大学に出てきた青年のように、自由を謳歌し、物質社会を楽しみました。辛いこともありましたが、そのたびに乗り越えてきました。
そんな生活で、親(神)の事を考えることも少なくなっていきました。
そして、2020年も過ぎ、そろそろ落ち着かなければ・・・というところに日本も来ていると思うのです。
つまり、親(神様)から離れて、かなり時が経ち、本当の意味で「自立」しなければならない時期になっていると思います。
その「自立」というのは、私たち一人ひとりが、「神性」を持っていることを自覚することだと思います。
怪しい話に聞こえるかもしれませんが、自分たちは神の子であり、それぞれが神性を持っているという考え方です。神様にお願いばかりしなくても、もともと私たちには神様から頂いた「魂」があるのだから、なんでも乗り越える力がある。
そのことに気づく時期なのかと思います。
だからと言って、神様を無視していいというわけではありません。たまの休みに田舎のお母さんのところへ行くように、神社にお参りして、ここまで育てて頂いたことに感謝をする。
大人になって、たまに田舎に帰って、「かーちゃん、小遣いくれー」なんて、言わないですよね。
同じように、神様にも「お金持ちになりたい!」なんてお願いするのではなく、今まで育ててくれたこと、今も見守ってくれていることに、ひたすら感謝する・・そういう柔らかい関係に変わっていくのではないかと思います。
お願いばかりしなくても、私たち一人ひとりが神性を持っているのですから、大丈夫です。
あなたも、何かにすがりたい気持ちがあるかもしれません。スピリチュアルにハマりたくなる気持ちもわかります。
けど、あなたは生まれただけでも奇跡ですし、自分は神性を持った存在なのかも・・と考えてみましょう。その気づきがアセンションとかいうことなのかな?なんても思ったりします。