神道について知りたいという人は多いと思います。
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けど、神道って、何?
神社?寺?(神社です!)
何を信じればいいの?
謎が謎を呼ぶ宗教です。
宗教って書きましたが、宗教ともちょっと違います。
「宗教」をウィキペディアで調べると、
宗教(しゅうきょう、(英: religion)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。
とあります。
神道は、この定義にある「教義」がないんです。
なんと、「教え」は無い
ということは、「宗教ちゃうかぁ」となるんですね。
けど、儀礼や神社のような施設もある。では、宗教か?
と思いますが、「教祖」もいない
じゃぁ「宗教ちゃうかぁ」
と、ミルクボーイのようなやり取りが続くのが、「神道」です。
このあたりは、今まで別記事でも書いてきたと思うんですが、では、何??というのがはっきりしない。
以前書いたのは、慎みて怠ることなかれの精神 そして、感謝の精神
という神道的な生き方について紹介しました。
神道の教えの本質「美しさ」
今回「なぜジョブスは黒いタートルネックしか着なかったのか?」という本に、もう一つの答えが書いてありました。
そこにあったのは、神道が「教え」が無い代わりに、何を基準に生きていたか?という答えでした。
それは
「美しさ」その行為が、「美しいか?」というのが、神道の本質だそうです。
痺れますね。
少し引用させていただきます。
だから、火薬で爆発させる技術が日本に伝わったときに、日本人は、それを鉱物資源の発掘として自然を破壊することに使うのではなく、なんと花火に使った。これが日本人のかつての感性なんです。
なんか、とても納得。
江戸時代は「粋(いき)」か、「野暮(やぼ)」という言葉に変わったそうです。
今の時代も、「美しさ」を基準に生きたら、世の中変わる気がしませんか?
ウイルスに感染した人を犯人のように叩いたり、不倫をした芸能人を囲んで質問攻めにする姿は美しいでしょうか?
そもそも、トイレで不倫する姿は美しいのか?
人のものを盗んだり、いじめたり、お金欲しさに下品なことをしたり・・それは美しいのか?
正しいより、楽しい。
それをさらに進めて・・「正しいより、美しい」
それが、本来の日本人的生き方なのでしょう。
縄文時代は争いがなかった時代と言われています。
美しい時代だったのでしょう。
今こそ、そのときに戻る時です。
今回引用させて頂いた本は、一流の人たちの美学を集めたものです。
生き方が参考になるだけでなく、最後のマイルールを作るところで、自分の道が見えてきます。
自分が何をしたいかわからない、という方にオススメです。