神社のお祭りに行ったことがある人は多いと思います。
けれど、神社の中ではどんなことが行われているのか?知っている人はあんまりいませんよね。
今回は、ざっくりですが、お祭りの時、神社の中では何が行われているのか?について書いてみます。ちなみに、神社の規模、地域などで違いもありますのでご了承ください。
*献幣、献幣使祝詞などは省略しています。
これは基本的な流れです。
もくじ
1 修祓 (しゅばつ)
まず、最初に「修祓」という儀式から始まります。
修祓というのは、いわゆる「お祓い」です。修祓は、祓戸(祓所、祓殿)「はらえど」という場所で行われます。普通の神社は、神主さんが祝詞を読む場所の隣に設けられています。
そこで、神主は祭祀に先立って、「祓い祝詞」という祝詞を読みます。
「かけまくもかしこき伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊祓給ひし時に生り坐せる 祓戸大神等 諸々の禍事・罪・穢れあらんおば、祓え給え清め給えと申すことを聞し召せと、かしこみかしこみもうまおす」
と、いう祝詞を読みます。祓戸大神とは、古事記で出てくる神様です。イザナギノミコトが、死んだイザナミノミコトを追いかけて読みの国に行くのですが、見る影もなくなったイザナミに追いかけられて逃げ帰ります。そこで「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」というところで禊(みそぎ)をします。つまり、水を浴びて身を清めたんですね。
その時に現れた神様を総称して、祓戸大神等と呼んでいます。
これらの神様に、参拝者の禍事・罪・穢れを払ってください、とお願いしているんです。
祝詞を呼んだあとは、「オオヌサ」という祭器でお祓いをします。「祓い串」とも言います。棒のようなものに、白い紙が付いたもので、バサバサやりますよね。
Wikipediaより
あの白い紙は、紙垂(しで)というのですが、神様が乗り移る紙だとされています。神と紙、言霊も同じですね。この紙に神様が乗り移って、お祓いしてくれるというわけです。神主さんのパワーではありません。
祝詞の最中、祓いを受ける時は、頭を下げます。祓いを受ける時は45度、なんて知っている人はかなりの通ですね。
2 宮司一拝
次に、「宮司一拝」(ぐうじいっぱい)宮司さんが神前で一礼します。この時、参列する皆様は、一緒に立って一拝します。
3 御扉開扉
次に、いよいよ神さまの扉を開けます。宮司がうやうやしく扉を開けます。その時、祭員の人が「オ―――」と声を出すことがあります。これは、「警蹕(けいひつ)」というのですが、神様が現れるので注意しなさい、という警笛のようなものです。
その際、参列者は頭を下げます。*厄払いなどの社殿での祈願では、普通省略されます。
4 献饌 (けんせん)
次は、献饌(けんせん)と言って、食事を神様に差し上げる行事です。
参列者にとっては見ているだけ、ですが、この儀式がクライマックスと言っていいほど重要になります。なぜなら、神様をおもてなしする行為だからです。祭員が1つ1つを運ぶのが通例ですが、小規模の神社だと、お酒の蓋を取るだけ、というところもあります。
5 祝詞奏上
次に祝詞を奏上します。
祝詞については書ききれないので、別の機会に書くとして、簡単に言うと、日本は「言霊」の国です。言葉は、発することで霊力が発揮されると言われているので、流麗で荘重な古語で丁重に奏上されます。
意味合いとしては、神職が、祈願者や参列者の代りに神様に成就をお願いするという意味があります。神主は、参列者と神様の橋渡し役だということですね。
祝詞の奏上中は、頭を下げます。
6 玉ぐし拝礼
次に、宮司が玉ぐしを捧げます。そのあと、参列者や祈願者が玉ぐしを捧げます。
Wikipediaより
玉ぐしは、神霊を迎える依り代と言われています。神様と人との仲立ちとしての役割があるとも言われています。
7 撤饌 (てっせん)
次に、神様にお出しした食事を片づけます。献饌の逆の流れで、食事をおさげします。
8 御扉閉扉
食事を下げたら、今度は扉を下げます。お祭りも、終わりに差し掛かっていますね。
この時も、「オ――――」という警蹕があります。神様がお通りになるサインですので、参列者は頭を下げます。
*厄払いなどの社殿での祈願では、普通省略されます。
9 宮司一拝
始まりと同じで、宮司が最後に一礼して挨拶をします。
参拝者も、宮司に合わせて一拝します。
10 直会(なおらい)
最後に、直会があります。お神酒をいただくことがほとんどです。ありがたく頂きましょう。
本来、神饌をさげて頂戴するのが普通です。神様が召し上がった食べ物を、私たちが頂くことによって、神人一体となる(神様と人が一体となる)という意味があります。
直会はお酒を飲む場というより、れっきとした「神事」です。
いかがでしょうか、ざっくりでしたが、これが神社の中で行われているだいたいの流れです。
基本にあるのは、神様に対する感謝と敬う気持ちです。神職と参列者は、作法でその気持ちを示します。