今、世の中が不安定です。大地震がいつ起きるかわかりませんし、ウイルスにいつ感染するかわかりません。
人はいつか死ぬ。当たり前のことですが、なぜか、自分は大丈夫だろう・・という、なぞの自信をみんな持っています。
最近、ある戦争体験記を読んで痛感したのですが、「戦争」というのは、簡単に人の一生を翻弄し、変えてしまうものです。先の大戦でも、フィリピンのような激戦区では、日本兵は全体の95%以上がなくなる・・という戦いもあったと聞きます。
飢餓、疫病で、ばたばた仲間が死んでいく・・戦場で95%以上が亡くなる・・「死」が隣合わせの状況だったのだと想像できます。私の祖父も第二次大戦を経験していましたが、お酒が入った時だけ、その時の様子を話していたのを思い出します。
最近、私の知り合いも若く亡くしてなりました。「まさか・・」という言葉しかでませんでした。
今、表向きは平和な日本。ウイルスの脅威にさらされているとはいえ、明日死ぬかも、と思っている人は少ないかもしれません。
けど、死は、誰にでも平等に訪れます。死というものは、どこか遠くにあるわけではなく、実は、常に近くにあるものなのかもしれません。
人の死が教えてくれるもの
暗い話になってしまいましたが・・
「死」、特に、近い人の「死」というのは、大切なことを教えてくれます。
それは、家族、友人、知人、愛する人が、当たり前のように目の前にいる有難さ。無くなってしまった方は、「もしかしたら、今日が会える最後の日になるかもしれない」という、存在することの価値、のようなものを教えてくれているのかもしれません。
人を大切にできない
そこで、思うのは・・「人を大切にできない・・」という方、いますよね。嫌いな人まで大切にする必要はないと思いますが、、、
そういう時に考えるのは、目の前の人は、明日いなくなる可能性がある、という事です。人を大切にする、という事は、遠くにいる人には、なかなかできませんよね。今はインターネットがあるので、遠くの人とつながることができますが、一番大切にできるのは、やはり目の前にいる人だと思います。
今、あなたの目の前にいる人は、明日いなくなる可能性があります。そして、その人を大切にできるのは、今この瞬間だけです。
逆に言うと、あなたが一番大切にすべきなのは、今目の前にいる人だということです。
私も、最近、すこしだけ危険な場所に行く予定があり、なんとなく、妻、子供たちと会えるのが、今日最後だったら・・と想像しました。あんまり想像すると、現実化する可能性があるので、あくまで、考えてみたのです。
そうしたら、子供と一緒にいる時間がとても愛おしく思えました。いつも以上に。ただ、一緒にいる時間が、とてもありがたいと思ったのです。この瞬間を大切にできなかったら、一生後悔するんだろうな・・と思ったのでした。子供と一緒にお風呂に入っている瞬間、話をしている瞬間が、とても輝いて見えました。
無事帰宅したとき、今生かされていることにもとても感謝しました。
目の前にいる家族、目の前にいる、お客さん・・今、この瞬間目の前にいる人だけが、今、この瞬間、大切にできる人です。ただ、目の前の人に親切にしていけば、徳も積めるし、世の中が平和になると思います。
自分を大切にできないなら
最後に、自分を大切にできない、という人も同じです。
自分だって、明日いなくなるかもしれませんよね。明日死ぬ、と思ったら、何をするでしょう?私だったら、意外に、ぼーっとのんびりしたいかなぁって思うかもしれません。会いたい人に会ったり、連絡をとるかもしれません。何かを世の中に残したいと思うかもしれません。
だから、今日、自分が喜ぶようなことをしてあげるのもいいかもしれませんね。
自分に優しく、他人にはもっと優しく・・今日が最後の日と思って、生活していこうと思います。