「神道」は教えのようなものがないので、実生活にどう生かして良いかわからない宗教です。
「宗教」と書きましたが、もともと提唱者がいるわけでもない、土着の「信仰」ですので、ある意味、「教え」のようなものがないのは当然かもしれません。
そんな「神道」を「感じる宗教」というような呼び方をする人もいます。
私がもう一点、神道で注目しているのは、「言挙げせず」という考え方。
欧米は「言いたいことは言わなければならない」「主張しなければならない」
日本人は、「霊力があるため、意見を発するのは「神」のみができることであって、人は、神の言うこと(言挙げすること)に従って生きていく」というスタンスなのです。
欧米が良いとか悪いと言っているわけではありません。主張しない日本人は、国際社会では「何が言いたいのかわからない」という場面もありますので、今の時代はバランスですね。
しかし、現代社会でも、「言挙げせず」が有効場面はあります。
主張がケンカを生む
例えば、あなたが母親だとします。
旦那さんは、常識ばかりを振りかざして、子供に怒鳴りまくる。それが嫌でしょうがないとします。
「そんな言い方しなくても・・」と思って悲しくなりますし、キツイ言葉ばかりを浴びせられる子供が心配になりますよね。
そんな時、「そんな言い方しないでよ!もっと良い方があるでしょう!あなたは愛情ということを知らないの!??」
なんて言ってしまったら、旦那さんは「なんだとこのやろーーー!!もういっぺん言ってみろ!」となりますよね。
その後は・・気まずいケンカモードになるのは間違いありません・・
まさに、あなたは「言挙げ」つまり、主張をしてしまったのです。
仕事でもありますよね。「なんでこの人はこんなに精神性が低いんだろう」と思う人いますよね。上司になった人が、やたら怒鳴る人だったり、人を小ばかにしている人だったり・・いますよね。
そんな人に、「課長のやり方は間違っていると思います!」なんて言ったら・・どうなるかは想像できます。
黙って我慢すればいいのか
では、黙って我慢するんですか?と言われれば、そういうことでもありません。
日本人的な精神性は、「自分がカタチで見せる」ということです。
どういうことかというと、先ほどの子育ての例でいうと、旦那さんが怒鳴っていても、自分は愛のある言葉を子供にかけたり、愛のある行動をすることに専念するということです。その結果、旦那さんも、あなたの行為に影響されて、自分の行動に気づくことがあるかもしれません。
これは、効果抜群です。私も以前、自己啓発の本を読んで、知識ヲタクになっていたので、「それはオカシイ!」とよく言ってしまっていました。結果、夫婦関係も悪く・・
「自分の考えを主張する」よりも、「自分の行動で周りを感化させる」方がよっぽどいいと思います。
神社の作法と同じ
別記事でも書いていますが、神職にとって、「カタチ」はとても大切です。
神前では、どちらの足から立つか、どちらの足を先に出すか、礼はどのくらいの深さか、手の動かし方、歩き方・・作法というものが決まっています。祭式なんて言われます。
なぜなら、カタチを通して、神様への畏敬の念を示すからです。
だから作法がとても大切なわけです。
人間関係も同じですよね。書類1つ渡すときも、極端な話、ポイっと投げられたら、イラっとしますよね。
まとめ
ですので、今日から、自分が愛のある行動、愛のある言葉を使って行動し、「ちょっとおかしい」と思う人に影響を与えるような生き方ができれば、最高ですね。
オカシイ、と思っても、言葉で主張するのではなく、行動、カタチで示していく。これは人間だけに与えられた素晴らしいところだと思います。