こんにちは。
子どもが小学生中学年くらいになると、外でスポーツを習ったり、勉強が難しくなったりしますよね。
そうすると…他のこと比べて、自分の力のなさに気付かされる時が来るんです。中にはスポーツも勉強もできる人はいるでしょう。しかし、そうでない子は多いと思います。
学校は競争することを教えています。頑張って良い点数をとろう!試合で勝とう!!!・・・わかりやすい例は「偏差値」ですよね。
しかし・・・本当に勝つこと、テストでいい点を取ることだけが大事なのでしょうか?
日本人が忘れてしまった価値観
「弱肉強食」「勝ち組・負け組」よく聞く言葉ですが、これは西洋的な考えです。
日本人には「共存共栄」「和」という言葉もあります。
食物連鎖は単純な弱肉強食ではありません。食べるものは食べられるものに依存し、共存しているのではないでしょうか。ライオンに食べられたシマウマは弱者なのでしょうか。ライオンを「生かした」と考えることもできますよね。シマウマが食べた草も、シマウマを生かせています。
いつの間にか、食物連鎖のピラミッドの頂点にいるものはエライ。という洗脳がされていないでしょうか・・・
強いものが弱いものを食べる。けど、実は食べたことで、食べられた生き物に生かされている・・それが共存共栄であると思います。日本人は昔からそのことを知っているので、(命を)いただきます。と言い食事をします。神の恵みであるという考えがあります。
私たちの生活は「生かしあい」「助け合い」・・日本人は当たり前に知っていたことです。それが、いつの間にか・・他人に勝つ。強者が弱者の上に立つ・・という価値観が根付いてしまったと言えます。
私たちが生まれる時も、選ばれた精子が卵子にたどり着いた、と言われますが、何億の精子がお互いに助け合い、生かしあいながら、最後の一匹の精子に命を託した。とも考えられますよね。そう考えれば、私たちは、力で1位になって生まれたのではなく、生かしあい、協力で生まれた存在だと気付きます。
子供のスポーツ、学業にも西洋的価値観が根付いている
先日、子供がサッカー教室の練習の後、涙を流していました。
「先輩の○○が、僕がミスをすると怒鳴るし、下手くそだとか、邪魔だとか、ひどいことを言う。もうやめたい。」
昭和の価値観であれば、「もっと練習して、そんな奴見返せ!!」と言ってしまうかもしれません。しかし、これでは苦しさが増すばかりです。
スポーツクラブの監督は「上下関係はしっかりします!」と仰っていました。上下関係・・・大切だと思いますが、もしかして、上の言うことは必ず聞かなければならない!という価値観になってはいないでしょうか・・これは共存共栄とは少し違う気がします。
日本の武道のようなスポーツは、「礼で始まり礼で終わる」という考えですよね。
つまり、、負けたものは勝ったものに、相手をしてもらったことに感謝をし、勝ったものも、負けたものに、謙虚になることを学ばせていただいたことに礼をする。まさに、生かしあいの姿勢なのです。
上の者も、下の者に感謝し、尊重する。自然界と同じように、共存共栄している・・これを抜きにしてしまうと、昔ながらのシゴキ、先輩の言うことは絶対!ということになってしまいます。
この経験を通し、自分が上になったら、下の子やできない子も尊重し、教えてあげる・・という気持ちを学んでほしいと思った次第です。
プロのように結果を出してお金をもらっているわけではありません。ですので、こどものスポーツにおいては、みんなが活躍する必要はないと思います。どうしても活躍できない子供もでてきます。
自然界と同じように、スポーツが苦手な子には苦手な子なりに役立てることもありますし、得意な子は感謝する。。自然界の共存共栄と同じことだと思います。
一番になるより、優しい人になる、という価値観
そして、今回、息子は「つらい・・・やめたい・・・」という思いをしました。
その気持ちには蓋をしないで、じっくり感じてほしいと思いました。本人にはキビシイかもしれませんが、この経験が宝になると思います。「こういうことを言われて、こんな嫌な、ツライ気持ちになった」
それをじっくり知っている人は、他人の気持ちもわかるようになると思います。「弱音を吐くな!見返せ!」というのは、辛さに蓋をすることだと思います。それよりも、「ツライ」の気持ちを受け入れて、だからこそ気持ちがわかり、他人に寄り添える人になってほしい、という教育が、これからの日本的な教育だと思います。
スポーツでは負け、なのかもしれませんが、優しさという面では1つレベルが上がりますよね。勉強でも同じことが言えると思います。
心のエリートを目指す生き方
優しさ・・というのは数値化できないので、評価が難しいかもしれません。偏差値のように数字で戦うのはわかりやすいですよね。
けれど、この数値化できない「優しさ」を伸ばすこと。せまい世界で競争して一番になるのではなく、心のエリートをめざすこと。
これがこれからの日本の教育だと思います。