以前書いたように、最近の小中学生は目を見張るような生意気さです。
学級崩壊・・生意気な子供・・現場から見る子どもの危機 その解決方法は??
私は学習塾を経営しているので、今の子供たちの様子をよく見ることができます。 よく言われていることとは思いますが、最近の子供はちょっとおかしい・・と思うことが多いです。中にはインディゴチルドレン(地球を ...
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これは現場の教師にしか分からない場合もあります。なぜなら、総じてそのような子供は親の前ではいい子だからです。例えば、塾の体験授業で親の前だと演技のようにいい子タイプはかなりの確率で問題児です。
最近、警察の前でダンスをしてSNSにアップする人が増えているようですが、同じような現象です。学校や塾の、「怒らない」先生はなめられ、暴言を吐かれ、軽んじられます。
日頃、教場で悩み、この記事を読んでいる先生方も多いと思います。
「子どもの言うことにいちいち気にして、やっぱり社会を知らない学校の先生は弱いですね」なんて言う人もいるかもしれません。
いやいや、子どもだからこそ、大人なら言わないようなことをバシバシ言ってくるし、子どもに言われるから余計イラつくのが人間です。しかも、2~30人の子供を相手にしているんです、先生は・・本当に凄い仕事だと思います。
私も悩みました。寝込むほど疲れたこともあります。けれど、他人を変えることもできないし、大人は簡単に逃げることもできませんよね。(逃げれるなら一番です)
もくじ
怒りに対して、怒りで返したくない
子供が生意気なことを言って口答えしてくる、攻撃してくる。騒ぐ。・・・そういう生徒に対して、昔の先生は暴力で制圧したり、大きな声で怒鳴ったりして黙らせていたと思います。
私が小学生の時もいました、そういう先生。けれど、このような記事を読んでいる方は、そのような「怒り」を子供に出せないから悩んでいることと思います。
今の時代、叩くなんて論外ですが、怒鳴ったりしたくない。怒鳴れないと、「あの先生は怒れない」なんて保護者に言われそうなのは知っている。
けど、イチイチ子供に怒鳴るような自分になりたくない・・怒鳴ってしまったら、自分が自分でなくなってしまうかもしれない。私は優しい先生でいたかったのに・・このように思っている優しい先生は多いのではないでしょうか。
諭しても、子どもには響かない
なら、人生哲学を子供に説けばいいのか?心の教育をすればいいのか・・けど、道徳の時間だけでどれだけ伝わるのか・・
そもそも、問題行動を起こすような子供は、ほぼほぼ聞きません。
怒り(力)でねじ伏せることができないなら、人格で諭し、導きたい、と考えるのは間違いではないと思います。私も、この方法が一番だと思っていました。そのため、教育本や自己啓発の本を読みまくりましたが、響く生徒には響きます。ただ、今回話題に上がっているような数パーセントの生徒に理解させるのは、少し難しいと思っています。
そして、真面目に学び、なんとかしてあげようと人格を磨き、自己研磨されている「良い」先生たちは、この解決できない数パーセントの生徒に悩んでいるのだと思います。
自己啓発の本にあるような「感謝」なんてできない
人によっては、「感謝」が大事、という言葉に出あい、「ありがとう」「ありがとう」と唱えている方もいると思います。この方法は私もやっていますし、効果があります。
ただ、本当に頭を悩ませている相手(生徒)に対して、感謝しようなんて思っていたら、とてもツライですよね。「良いところを見つけて!」なんて思っても、ツライです。休みの日に考えたくもない、というのが人間です。
子どもは変わらない。家庭の問題でもある・・
ここまでくると、ある考えが頭をよぎります。
「そもそも、家庭の問題だ」「家庭での教育を何とかしてもらわないと、学校や塾ではどうしようもないよ」
ある意味、諦めて、自分に言い聞かせることになります。「結局、家庭なんだよ」
そう思って自分を納得させて、その時は楽になるかもしれませんが、現場に戻ると、同じ現実が待っています。
自分に対する声を聞こう
では、どうすればいいのか・・・私が一番効果があったのは、自分の声を聞くということ。つまり、相手は自分の鏡です。
生徒が生意気という「現象」は、自分が自分に出している態度が原因であると気付いたのです。
どこかで、「自分なんて、大したことないですよ・・」「もういいよ、私が全部やればいいんでしょ!!」こんな波を自分に当ててた・・と気づいたんです。
自分が「自分なんて、大したことないですよ・・」→生徒も「お前なんて大したことないんだよ、センコー!」となる、と気づいてしまいました。
今までは、自分の経歴を言っていなかった。大学、資格・・そんなの自慢することじゃないって思っていたんです。謙虚ではなく、自分なんて、ただ狭い勉強を教えているだけですよ・・だからなめられていた。自分は凄いと思て良いんだ・・と気づいたんです。
自分はスゴイ
自分が凄いなんて、思えません・・と思うかたは、自分を洗脳しましょう(笑)言い換えると、自分はスゴイという回路を脳に作ってしまうんです。
どうすればいいのか?というと・・「今日できたこと」をノートに毎日かいてください。
どんな些細なことでもです。うるさい生徒に感情的にならずに対応できた。保護者に言いにくい子とを言えた、私すごい!今日も朝学校に行けた、わたしはスゴイ先生!こんなことです。
2,3週間すると自分の自己肯定感が復活してきます。
生意気になれない自分-相手は鏡
もう一つ、相手は自分を映す鏡だと書きました。
そうなると、生意気なふてぶてしい子供は、自分の鏡ですか?という話になります。
それは、あなたが生意気という意味ではなく、「そうなりたい自分」を映し出している可能性もあります。
私は、保護者にも、子供にも、良い人間として見られたい、という思いが強かったのだと思います。人格者の先生、優しい先生、保護者の模範になれるような人間になりたい。
そのため、本を読み、セミナーに行ったり、学んだり・・・「良い人間に見られたい」が強すぎたのかもしれません。
これを読んでいる方にもいらっしゃりませんか???
「生徒や保護者のためになれる自分になるために学ぶ」がいつの間に→「生徒や保護者に人格者、いい先生と思われたい。生徒に好かれたい」
このように変わってしまっていた・・
知らず知らずのうちに、本来の自分でなくなり、保護者や生徒の前でいい人を演じるようになった・・
目の前の「生意気な生徒」は、「あなたは無理しないで、もっと生意気になってもいいし、本来の自分に戻ったほうがいいよ!」というサインの可能性もあります。
別に嫌な自分を見られてもいいし、生意気な先生と思われてもいいし、たまに生徒に怒鳴っちゃったり、冷たい態度をとっちゃう先生でも良いんです。
それを教えてくれるための現象かもしれません。
感謝できることがあるとすれば・・
もし、私もこのパターンでした!と思うのであれば、目の前の生意気な生徒にもちょっと感謝できますよね。
そして、もし生意気な生徒が2人だったとしたら、ほかの20人くらいの生徒が「めっちゃ可愛く見える」こともありますよね。
ほかの生徒の有難みに気づかせてくれた。今の自分の内面に気づかせてくれた・・ここに気づくとちょっとは感謝できますよね(笑)
最後にマザーテレサの言葉
最後に、マザーテレサの言葉をご紹介します。最後の言葉に注目してください
人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい
あなたが善を行うと
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい
目的を達しようとするとき
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい
善い行いをしても
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい
あなたの中の最良のものを、世に与え続けなさい
けり返されるかもしれません
でも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい
気にすることなく、最良のものを与え続けなさい
最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。
あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。
おまけ ホ・オポノポノなどの手法を試す
今回ご紹介した方法でも、どうしようもない、という先生方・・最後はちょっとスピリチュアルの世界を試してください。ワラをもつかむ気持ちです。
一番手軽で、しかも半端ではない効果があるのが、ホ・オポノポノです。↓の記事を参照になさってください。
生意気な生徒に悩む塾や学校の先生が、本来の使命に集中できますように。